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| 六連島(むつれじま)のお軽(かる)
少女時代からおてんばぶりを発揮し、娘時代には気性の激しい男まさりの性格で、六連島の青年たちは“お軽のところには養子に行ってはならない”と言い合っていたという。 やがて19歳になって、幸七という28歳の青年を養子として迎え、お軽は貞淑な妻に変身、懸命に夫に仕えたが、夫婦に破局の訪れるのは早かった。下関や北九州に野菜の行商に出た夫の幸七に愛人ができ、お軽は嫉妬に怒り苦しむことになった。 この夫の浮気が逆縁となり、島に唯一ある西教寺の現道住職を訪れるようになった。 「幸七さんの浮気はあんたのためにはかえって良かった」 「良かったとは何ですか ! 」 「こんな事がなければ、あんたは仏法を聞くような人ではない。だから“良かった”のじゃ」 こんなやりとりの後、やがてお軽さんは熱心に聞法するようになった。歳月が流れ、すでに35歳になったお軽さんは、風邪がもとで生死の境をさまよった病床で自分の無力さを痛感し、如来さまのお慈悲がしみじみと味あわれてきた。この頃から、お軽さんの口から信心の喜びが次々と歌となって生まれてきた。
文字は一字も読み書きできないお軽さんは、歌が思い浮かぶと西教寺へかけこんでは現道住職に筆録してもらい、奉公にでている子供たちにも送った。やがて夫の幸七や6 お軽さんは、56歳のとき、コレラであっけなく最後を遂げたが、息を引き取る数か月前に歌を残していた。 亡きあとに 軽を尋ぬる人あらば 弥陀の浄土に 行ったと答えよ 六連島では、盆の三日間は、夜を徹して盆踊りが行われているというが、その中に「法悦踊り」というのがある。お軽の歌が今も「盆踊り歌」となって歌いつがれているのである。 |
| お軽さんのうた 聞いてみなんせ まことの道を 無理な教えじゃ ないわいな きのう聞くのも 今日また聞くも ぜひに来いとの および声 重荷せ負うて 山坂すれど 御恩おもえば 苦にならず
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高い山から お寺を見れば 御恩とうとや 宝やま 宝山には 足手を運ぶ むなしがえりを せぬがよい まこと真実 親さまなれば なんのえんりょが あるかいな
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己(おの)が分別 さっぱりやめて 弥陀の思案に まかしゃんせ わしが心は 荒木(あらき)の松ヨ 艶(つや)のないのを おめあてに 思案めされや いのちのうちに 生命(いのち)おわれば 後思案
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